都ばなし 5
鬼
京都で鬼と言えば、都の貴族の娘をさらった酒呑童子と、羅生門で渡辺網を襲い腕を切られた酒呑童子の手下の茨木童子です。
ところで、鬼がなぜ童子なのでしょう。
比叡山麓の八瀬の人は、今でも自分達は鬼の子孫だと名乗っており、明治維新までは他とは馴染まぬオカッパ頭で八瀬童子と呼ばれていました。
京都に都を誘致したのは、既に京都の生活適地に入植していた渡来人の秦氏です。遷都によりオカッパ頭の先住者は、さらに辺地に追いやられ、都でのいさかいや、貴族の娘と恋愛の末の略奪結婚騒ぎも起こします。
鬼とは為政者に従わない人のことで、オカッパ頭なので童子と呼ばれ、これを朝廷が武力で屈服させたのです。
鯖街道
「お祭は鯖鮨」とは京都の決まり相場です。
輸送手段の発達していない頃、海から遠い京都では魚は貴重でした。若さで揚がった鯖をひと塩して約八十キロの道程を、夜を徹して京都に運ぶと、程良い塩加減に鳴ります。
これを鯖鮨にするのが庶民の最高の贅沢だったのです。京都の名物に「いもぼう」や「にしん蕎麦」があります。この主材も若狭で北前船から陸揚げされた棒鱈と身欠ニシンです。
これらの物資を運んだ道を「鯖街道」と呼んでいます。道は一ツではなく、京都近郊だけをあげても、周山から高雄、雲ヶ畑から上賀茂、鞍馬から上賀茂、大原から八瀬、琵琶湖湖上経由大津から山科などを経由する多くのルートが存在しました。
鳴神
皇子誕生の祈祷に成功した鳴神上人に対し、朝廷は約束の堂塔の建立をしない。これに怒った上人は法力を使い世界の竜神を京都北山の滝壺に封じ込め、自らも岩屋にこもる。そのため日照りとなり民百姓が苦しみ、困った朝廷は雲絶間姫をつかわし、色仕掛けで法力を破ろうとする。お腹が痛いと上人に胸を触らせ飲めぬ酒をすすめて泥酔させ、その隙に竜神を封じた注連縄を切る。すると竜神は天空に飛び立ち、雷鳴がとどろき猛烈な雨がふりだす。
これが歌舞伎、鳴神のあらすじで舞台となっているのは加茂川の上流、役子角が開いた雲ヶ畑の岩屋不動志明院です。境内は奇岩怪岩が多く山深い修行道の行場ですが、四月の終わりには石楠花が咲き乱れます。
袈裟御前
北面の武士であった遠藤盛遠に横恋慕された源渡の妻、袈裟御前前は困果て、髪を洗わせて寝かせるから濡髪を目印に夫を殺してくれと盛遠に頼む。袈裟は今生の解れと、渡と酒を酌み交わしたあと、自らは髪を濡らしひとり渡の寝所に横たわる。盛遠が忍び込み一刀のもとに首を切り落とし月明かりに照らすとそれは袈裟であった。これは源平盛哀記にある物語ですが、史実に沿っていると云われています。
名神高速京都南インターチェンジ近くの交差点「赤池」の名は、ここに盛遠が血刀を洗い赤く染まった池があったことに由来します。
出家して文覚と名乗った盛遠が、袈裟の菩提を弔うため開いた恋塚寺もすぐ傍にあり、そこは袈裟の首塚があります。
アクセス
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